高校生時代のザ・スターリンのイヌイジュンにデッサンを手ほどきしたのが現代美術家の金重尹郎だった。師のデッサンがずば抜け過ぎ、イヌイは驚き慄きながらザ・スターリン時代を含めてすでに45年間師との交友を続けている。
今回、陶芸、彫刻、版画、ドローイング、インスタレーションと多様な表現を駆使する金重の作品のうち、ライフワークであるコラージュに焦点を当てた展覧会を宮西計三の作品とザ・スターリンのコラボレーションでおなじみの阿佐ヶ谷のギャラリー白線で行います。
ポップな表現の中に発見するパンク・スピリット。ぜひご覧ください。
2021年3月5日(金)~14日(日)ギャラリー白線
東京都杉並区阿佐谷南1-36-14 1F
毎日13時~19時(最終日17時まで)入場無料。
・コラージュ作品を題材としたTシャツ、ポスターなども販売します。
・金重尹郎作着生土器Spesも同時に展示します。
金重尹郎(かねしげ ただお) 1947年岡山県備前市生まれ 平安時代に遡る備前焼の歴史の中で、江戸時代に整備された「備前(窯元)六姓」のひとつ、金重家の末裔の一人。備前焼の中興の祖とされる金重陶陽は叔父にあたる。
東京藝術大学彫刻科卒業。現代美術作家として陶芸、彫刻、版画など多岐にわたる技法で精力的に創作を継続する一方、大阪・神戸で美術研究所を開所、多数の後進を育成している。
岡山高島屋、池袋東武百貨店、神戸大丸などでの作陶展のほか、個展・グループ展多数。
「コラージュは俳句だ」
ガキの頃から絵を描いたり物を作ったりするのが好きだった
勉強はからっきし出来なかった
大人になったら何かしらモノを造る仕事に就くのであろうとボンヤリと夢想していた
幸か不幸か夢想は現実となり、大学を卒業この方ずっとモノを造り続けてきた
自慢できる話ではない、其れしか出来ない無能人間なのである
僕の場合、大学では彫刻を勉強したのだが、家業が焼き物屋であったこともあり陶芸もやる
また芸大受験以来のデッサン大好き人間なので、主にドローイングも欠かすことなくずっと描き続けてきた
日本人は得てして「この道一筋」というのがお好きなようで、僕のようにあれもやりますこれもやります、というのは嫌われる
芸能人じゃあるまいし、嫌われようと何であろうと一向構わぬ
やりたいことをやって死んでいければ本望だ
今回の個展はコラージュ作品に限定した
コラージュに関心を待ったきっかけは、若いころ観たピカソやブラックの作品によることが大きい
しかし自分でコラージュに手を染めたのは1990年前後からだろうか、以来ずっと作り続けている
コラージュの場合「作品を作る」という意識はない
最近になって、僕のコラージュ論に「コラージュは俳句だ」というのがある
これをいちいち説明するとダラダラと長くなるので省略する
どうやら今、僕の理想のコラージュは俳句との関連性、共通性を求めて作っている節がある
ところがこれを基にいざ作るとなると、俳句が和歌に、和歌がポエムに、ポエムが散文になったりと始末に負えない
これでなかなか難しいのだ
しかし、ともかくしっちゃかめっちゃか作っていると「おや、これなかなかええやないか」
と思えるものも出来はする
それらが今回の出品作品になっている
今回の個展開催に当たっては「ギャラリー白線」の斎藤氏のご厚意によることが大きい
また、斎藤氏に橋渡ししてくれた朋友乾純氏にもひとかどならぬお世話になった
この場を借りて両氏に深く感謝申し上げる
最後に、自称芸術家なるものは概ね「窮鼠」の生まれ変わりだ
かくいう僕とて「窮鼠」の見本みたいなものだ
ただでさえ鬱々とした昨今の世情ににあって「窮鼠、コロナを食う」
阿佐ヶ谷から熱気をお届けしたい
ご高覧いただければ幸いです
三月吉日
金重 尹郎
イヌイジュン ドラマー、建築家
ろくでもないおれの人生にそれでも大きな影響を与えた男がふたりいる。糞パンクロックバンド「ザ・スターリン」をいっしょに立ち上げた遠藤ミチロウ。そしてもうひとりが金重尹郎だ。
出会いは金重が最初に構えた美術学校が入居する、大阪・梅田の外れにある雑居ビルの3階から4階へ上る階段。
おれが17歳だった当時、単なるイベント情報誌の枠を超えて関西の若者文化を牽引していた『プレイガイドジャーナル』に掲載された「山の向こうになにがあるか、行ってみないとわからないさ」。この、金重が主宰する「マルス美術研究所」の誘客コピーに騙されて訪れたものの1時間ほど不在だという。
しかたなくおれはズタ袋から取り出した長短のテニスボール缶を裏返しに膝に挟んで、ドラムの練習なのか、それとも原始人の音楽演奏なのかにわかに判断のつかぬ行為に及んでいた。
小一時間後、階段を上ってきた痩せこけたハービーハンコックのような風貌の男はなにも問わずついてこいと告げ、(おそらくおれの腰まで届く長髪、破れたジーンズ、そしてテニスボール缶を叩いていたことからおれの用を理解したのだろう)アトリエで話すことに。
金がないというおれに、授業料はいつでもいいから今から通えと言ってくれたのだった。美術家になろうと叩いた門戸だったが、それからの45年間、一切衰えることのない金重の作品の力とセンスに圧倒され続け、おれは劣等感しか感じることがなかった。
自身のコンポジション能力、フォルムに持たせるストーリー発想の訓練のためにと長年制作を続けてきた大量のコラージュ作品を一堂に会する今回の展覧会は寸分の隙もない構成、1本の線の始まりから終わりに至るまでの完全なデッサンの中にも、一種のゆとりさえ垣間見せる。そんな絶妙なセンスを楽しんでいただきたいと思う。